まず簡単な自己紹介
名前:健(@ken_0205_jp)
出身地:大阪
生まれも育ちも大阪です。ただ性格は大阪っぽくないと言われます。笑
学歴:大阪市立大学 商学部卒業
現状:東京でWebエンジニア1年目として働いています。
趣味:NetflixとYouTube鑑賞。
現在ハマっている番組は、Gossip Girl、Friends、How I met your motherの3つです。英語勉強も兼ねてです!
好きなYoutuberは、ジョーブログさん、バイリンガールちかさん、はなおさん、ジャルジャルさんです。見すぎ!!笑
没頭してしまうこと:ブログのための文章を書くこと、旅行などの動画編集。
この二つも趣味として好きで、やり始めると時間を忘れてついつい没頭してしまいます。
本質:もっとカッコよくなってモテたい。
これまでの人生を説明します
幼稚園編(モノ作りの楽しさを覚えた)
たぶんそういう家庭の教育方針だったのでしょう。
欲しいものをすぐに買い与えてもらえるという環境ではありませんでした。
周りの友達がゲームキューブを持っていたり、ゲームボーイアドバンスを持っていているのを傍から「いいなーー!自分も欲しい!」
そんな風に思っている時間がとても長かったなーという記憶があります。
代わりにどうやったら自分の所有欲を満たすことができるのか、どうすれば自分も楽しむことができるのか??
そう考えた結果、私が辿り着いた答えは【自分で作る】ということでした。
紙や段ボールを使ってゲームボーイアドバンスや任天堂DSを真似た物体を作ってみました。
結果モノ作りが好きになり、野球のグローブも紙で作ってみたり、果ては小説なんかを書くようにもなりました。
今でも【0→1を作りだすこと】に興味があるのは、この頃の影響が強いと思っています。
小学校編(自分の基礎ができた)
「シャイでおとなしいんだけど、でも人と違うことをして注目を集めたい!って思っている奴」でした。
幼稚園の頃一度、みんなの前の発表で失敗してしまったというトラウマがありました。
そのせいか特に小学校低学年の自分はめちゃめちゃシャイでおとなしい奴でした。
無口っていわれるぐらいでした。
それでも自分に話しかけてくれる今の親友たちがいました。
そのおかげでなんとか小学校時代をスタートすることができました。
今でも一番感謝している相手です。
小学校時代って走るのが早かったり、ドッジボールが強かったり、おもしろいギャグを持っているとモテますよね。
小学校5年生の頃の自分は、足が速かったっていうのと「健」という名前に人気があったという理由から、少しモテるという経験をしました。
うん?後者の理由どういうこと?
当時プロポーズ大作戦というドラマが大流行していて、やまぴー演じるカッコいい主人公の名前が「健」だったらしいのです。
なんかその影響からわたくし「健」も少し人気が出ました。笑
この時期めちゃめちゃ毎日がワクワクでした。
そしてどんな人がモテるのかっていうのを漠然と考えるようになりました。
結果、周りとの差別化が大切っていうのをだんだんと感じるようになりました。
どうやったら差別化できるだろう??
こんな難しい単語を使って当時は考えていませんでしたが、
少なくとも人と違ったことをして注目を集めたいということは考えていました。
その結果、
・地元に二つあった野球チームのうち、あえて人気のない弱い方に入部しました。
・友人の内数人が中学受験をするということで、自分も中学受験をすることにしました。
・ザ・進学塾や友達と一緒のところではなく、クラスメイトが1人しかいない地元のさびれかけの塾に入りました。
毎日がワクワクでした。
両親は自分の意見を尊重してくれました。
無事、中学受験に成功しました。
「人と違う道に行って結果を出すこと」を経験しました。
非凡と人気が自分の中でのキーワードになりました。
中学校編(自分の基礎の崩壊)
中学に進学しました!
野球を続けたかったので、野球部に入りました。
部活は毎日ほとんど休みなし。宿題も忙しい。大変な毎日でした。
スケジュールは充実していました。
しかし、何かワクワクが足りませんでした。
なんで??
当時は分かりませんでした。
今考えると理由は簡単です。
私立の中学に入って、世間的には少し非凡になったものの、
中学内ではただの平凡な生徒の一人でした。
非凡と人気というワードがまったく当てはまらない状態でした。
野球部でレギュラーになれず、結果も出せず、
野球部の顧問がめちゃ厳しかったので勉強だけは良い成績とっていたのですが、
野球部引退後急激に成績も悪化。
野球や勉強以外当時自分には何もなかったし、生み出そうとしていませんでした。
クラスをめちゃ盛り上げるようなキャラでもありませんでした。
特に何の代名詞もない人間でした。
高校編(自分の基礎を取り戻せた?)
中高一貫校だったので、受験せずに高校入学。
野球ではもう勝てないと思い、野球以外のクラブに入ることに。
でもあまり興味のあるクラブがありませんでした。
そんな時、体育の先生が僕をバレーボール部に誘ってくれました。
野球部時代の友人も何人か入部するということもあり、自分も入部を決意。
気づいた人もいるかもしれませんが、この決め方 全然主体的じゃないですよね。
小学校の頃はいろいろ主体的に決めていた自分が、
中学校を通じて受動的に物事を決めるようになってしまいました。
中学校と同じくクラブは忙しく、
スケジュールは充実していました。
しかし、受動的な決め方で自分を追い込めるほど頑張れるはずはありませんでした。
スタメンではないけどちょこちょこ試合には出るという中途半端な立場で最後の大会を終えました。
ここでも非凡と人気を取り戻すことはできませんでした。
しかし自分の原点を思い出させてくれる転機は何度か訪れました。
一つ目はテレビドラマ。
「ミス・パイロット」「空飛ぶ広報室」「リッチマン・プアウーマン」などが大好きでした。
パイロットやテレビプロデューサー、IT会社社長など非凡なキャラクターにワクワクを感じました。
自分なりの道を突き進み結果を出すことの大切さをテレビドラマが思い出させてくれました。
二つ目は大学受験。
ドラマを通じて未来に希望を描き始めたものの、まず自分に何ができるのか??
悩みました。
結果、まずは良い大学に入ることが大切だと思いました。
それが一番今後の選択肢を増やしてくれるだろうと思ったのです。
部活引退後、高3の6月から勉強を始めました。当時の模試偏差値は40前半。
中高一貫に甘えて勉強をサボりすぎていました。。
必死に勉強しました。
成績を伸ばして非凡になりたいと思いました。
自分にあっている勉強方法を必死に模索しました。
結果偏差値は20ほど上がりました。
そして大阪市立大学 商学部に合格することができました。
大学編(非凡になるための挑戦)
入学早々大学の授業がつまらないと思い始めました。
なら学外でいろいろ挑戦して、非凡になろうと決意しました。
【大学1年生】
▶夏に友達と二人で人生初の海外に行きました。
グアムに行きました。
自転車で一周しようと試みました。時間的に途中断念でした。
しかし、一風変わった旅の面白さを知りました。
グアムで英語を話しました。センター試験で8割以上とれるのに、自分全然英語話せないないやん、と絶望しました。
【大学2年生】
▶旅がだんだん好きになり、大阪から岡山まで自転車で一人旅したり、青春18切符で旅をしたりしました。
▶カナダに短期留学に行きました。
英語で会話できた時の楽しさ、嬉しさや、世界にはいろんな人がいていろんな生き方・価値観があることを知りました。
また少し世界が広がりました。
▶パイロット試験に落ちました。
本気でパイロットを目指したい(ドラマの影響あり)と思い、身体模擬試験を受けました。
遺伝的にパスできない項目が見つかりました。パイロットを断念しました。
やはり自分は非凡にはなれないんだと思いました。
でもそれで終わるのが悔しくて悔しくて。
挑戦を続けることに決めました。
▶武者修行プログラムという海外ビジネスインターンシップに参加しました。
輝いている大学生、自分と同じように悩んでいる大学生、面白い大学生に会いました。
めちゃめちゃ刺激をもらいました。
0から1を創るおもしろさを幼少期以来思い出しました。
【大学3年生】
▶留学生寮に住んで、初めての一人暮らしをしました。
20か国以上の友達ができました。たくさんのイベントを企画しました。
また少し世界が広がりました。
ドラマを見て英語を勉強するようになりました。
▶HelloTalkなどでさらに海外の友達と会いました。
英語を話すように心がけました。
▶ヒッチハイクに挑戦しました。
一回目は大阪から富山まで誰が一番早く辿り着けるか競争しました。
二回目は大阪から東京まで行きました。
▶長期インターンシップでB to Bの営業を経験しました。
関西営業所の立ち上げでした。
やっぱり新しいことを創り上げていくのって楽しい。
同時に、社会人と同じ立場として働かせてもらい、自分のできなさ加減を再認識しました。
▶就職活動をしました。
レベルの高い学生にたくさん出会いました。
自分はめちゃめちゃ平凡なやつだと再認識しました。
不安を感じました。
▶尊敬する友達3人と共に、地方創生イベントを立ち上げました。
地方を活性化すると同時に大学生にやりたいことを見つけるきっかけを与えるというコンセプトのイベントでした。
多くの大学生が参加してくれました。
人生が加速するきっかけになったと言ってくれた子もいました。
このイベントを通じて一つ気づきがありました。
数字(売り上げなど)にインパクトを与えるよりも、
誰かの人生にインパクトを与えられるものを作りたいと思うようになりました。
▶大学4年次を休学してマレーシアに留学に行きました。
非凡を求めてマレーシアを選びました。なぜ留学を決意?なぜマレーシア?
▶留学中にブログやYoutubeを作ってみました。
ひょんなことからブログを始めました。大学生の僕がブログを始めた理由。
正直、ブログがこんなに楽しいと思っていませんでした。
莫大な数の人たちにコンテンツを提供できるかもしれないという可能性、そしてそれに少しづつ近づいていっている感覚。
ハマりました。
同時にインターネットのスゴさを実体験から再認識することができました。
▶ブログのサイトをカスタマイズする過程でプログラミングに出会いました。
これまで全く触れたことが無かったのですが、自分のアイデアを0から形にすることができる手段としてとても魅力を感じました。
また、世界で通用するスキルの1つでもあるので、極めたいなと思いました。
そこから現在プログラミング勉強中です。
現状とこれから
【0から1を創る】【誰かの人生にインパクトを与える】【世界で働く】
この3つをキーワードに自分の人生を設計していきたいと思っています。
具体的なキーワードに変換すると
【Webエンジニア】×【ブロガー】×【日本以外でも働ける人材】
を目指していきます。
ブログに関しては、「誰かの人生にインパクトを与えるコンテンツをつくる」という信念のもと継続していきます。
とは言っても自分の人生まだまだ平凡すぎるし、
誰かの人生を動かすぐらいの魅力をまだまだ兼ね備えていない。
だからこそ、
「非凡」と「人気」というワードのもとまだまだ様々なことに挑戦し続けたいと思っています。
こんなKENが書いているブログが
とある社会人1年目 KENのブログです。
↑留学中のブログタイトルです。
まだまだ至らない所だらけですが、みなさんと一緒に成長していきたいと思っていますので、
何卒よろしくお願い致します。